人は慣れる生き物?

おはようございます。

そしてお休みなさい

一ヶ月ぶりに会った友達と喋っていたら

朝になってました。

私は喋るのが明石屋さんまの50%ぐらい好きなので、
打てば響く(相槌打つ、返答あるとなお良し)人と喋ると

終わりません。

だらだら人生相談やお悩み相談してたわけですが、
以下メモとして話した内容を書いておきます。
まず私、そして友人の人生お悩み相談から
どちらもが自意識過剰なのではないか、
というところへと話が変わりました。
ここで言う自意識過剰は、例えば同じ部屋にいる人、
同僚、仕事のメンバーなどのこちらからは不特定多数の人物に、
自分が見えているのではなく見られているのではないかと
意識し、時には怯え、それを踏まえて行動することを指してました。
そして友人は「自意識過剰」は治せる、治したと主張しました。
そこでタイトルに出した「人は慣れる生き物」ということを
主張の根源として理論付けて来ました。
人に見られていないかという意識(自意識過剰、神経過敏)は、
実際には見られていないということを何度も確認し、
そして、「見られてないんだ」というのを理解し、
自意識過剰を治せる、治したというのです。

もちろん反論しました。

何故なら私は今も自意識過剰だからです。

ジェットコースターを怖い人間がジェットコースターに
乗っても怖さは克服されたりしないことが多いです。
ライオンが怖い人は檻に入れられているライオンでも
怖くないと理解できず近づけない人もいます。

シュトロハイム「動物園の檻の中の灰色熊を怖がる子供がおるか?いなァァァ〜〜


シュトロハイムサンタナに乗っ取られていてもらいましょう。


嫌いな食べ物を食べさせられても好きになれない。
むしろより怖くなったり、嫌いになったりと逆効果の可能性が
あると言いました。
すると友人は言いました。
「百回ジェットコースターに乗れば怖くなくなる。」
「百日嫌いなものを食べれば嫌いではなくなる。」
「ライオンの檻に毎日1mずつ接近すれば怖くなくなる。」
そうして数をこなせば慣れてしまい克服出来るという理論です。

さもありなんです。私も虫一匹殺せない穏やかな人間(嘘)でしたが、今ではもうこの手を血に染めることを昔ほど厭わなくなりました。

しかし、私は、自意識過剰、神経過敏、こういったものに対して人は
慣れない、克服出来ないものであることが多いと反論しました。

何故なら友人の例に上げた克服のし方、慣れ方は「体で覚える」ものであり、自意識過剰などは頭、思想、精神面での事柄であり、そのような物理的なやり方が出来ないものが多いからと主張しました。

もちろんライオン怖い、嫌いな食べ物にも精神面が関与しています。
しかし克服の仕方で分かるとおり、
考え方の転換に行動が大きく関わっています。
味覚、視覚で認識を改善させることが可能であり、
思想単体のみでは治しておらず、それも他人の助けが
必要なほど行動力が必要なものばかりです。
(ライオンなら無理矢理近づける、
嫌いな食べ物は無理矢理食べさせるなど)
そこで友人は、自意識過剰は人に注目されるようなこと
(芸などといった自己PR)をし、見られることに慣れるように
取り組めば良いと反論しました。
確かにそれで治るかもしれませんが・・・

基本今回取り上げた自意識過剰は日常での周りの不特定多数への意識が過敏であり、そういった行動を行って見られる場合とは違い意識の対象が極めて不明瞭で形を持たないため、効果があるかどうかはわからない。

何かが怖い、何かが食べれない、などといった対象が
はっきりしたものよりも、自意識過剰、神経質などは精神面が
より大きく関与しているため、「慣れる」といったことは
起こり得るかもしれないが必ず起きるとは限らない、
そう言いました。
友人もそこには納得し、自意識過剰には条件、きっかけなど、
特別な「思考の転換」の瞬間が必要であるかもしれないと応じました。


結論:自意識過剰、神経質、被害妄想など精神の改善、
変換は、治る場合もあれば、治らない場合もある。

つまりわからんということです。

あ、私も友人も心理学などにはズブの素人です。
なのでその考え方は違う、こういった働きかけがあるんだ、
とか思われれば反論の余地無しです。

むしろ是非とも教えて欲しいです治し方。

こういった議論(意見のぶつけ合い)、推測を
その友人と会うたびに発生させてしまいます。

そして共々寝る時間が減ってしまうのです。

以上今回話した内容の覚え書きでした。
今回本当にチラシの裏で申し訳ないです。

それではお休みなさい。